ーHare's worldー 晴れ(Hare)が紡ぎ出す絵と物語 宇宙の生命、それらが憧れる地球の女神 魅惑の世界が広がる Arts and stories spun by Hare. Lifeform in the universe, the goddess of the earth that they yearn for, the fascinating world spreads

想いは時空を超えてームー次元への扉ー(Thoughts transcend time and spaceーThe gateway to the Mu dimensionー)

想いは時空を超えてームー次元への扉ー

mechanical pencil(シャープペンシル),
acrylic,
illustration board 24×30×0.1cm
2024年



《詩(Poem)》

【想いは時空を超えてームー次元への扉ー(Thoughts transcend time and spaceーThe gateway to the Mu dimensionー)】

ムーブルー
気高く
清らかで
涼しく
崇高なエネルギー

時間を超え
空間を超え
繋がる二つの心

憂いに満ちた瞳に
廻り続ける耳のチャクラに
溢れ続けるサードアイの青光に
私はあなたを感じ求め続ける

10億年待ち望んだ遥かなるこの想いを
私のこの胸の中で紅く燃える炎と伴に
いつまでも熱く高らかに光輝かせ
あなたを想い続ける


《このアートワークについて(Regarding this artwork)》

2010年だったと想う。
その頃の私は自動車関連の企業に勤めており、昼休憩の時間に自席で目を瞑りハンカチと手のひらを目に当てて光を遮り瞑想するのが習慣になっていた。
暗くしている筈の私の視界は真っ暗ではない。私はサードアイで量子の世界が見える。肉眼の視界を真っ暗にしても私の視界には、左右の上部に耳のチャクラの星雲のような回転体が回り、視界全体にはおぼろげな量子の光の粒が無数に舞っている。
ある日、瞑想している私の視界が急に真っ白になり、その白い空間の中央に小さな丸い穴が在ることに気づいた。私はその穴に意識を向けた。
その穴は青かった。
私は青い穴の近くに行きたいと想った。
すると、青い穴は私の方に近づいてきた。
青い穴は鮮明になってきた。
青い穴の縁はまるで和紙に穴を開けたように細かい繊維が千切れたようになっていた。
そして穴の向こうに広い青い世界があることが伺えた。
淡く鮮やかな青、少しだけ薄紫を感じる青。
その時、私は確信した。
この青はムーブルー。穴の向こうの世界はムー次元なのだ。
私は穴の向こう側へ行きたいと想った。
穴は私の方へどんどんと近づいてきて大きくなっていった。
そしてムーブルーはより鮮明になり鮮やかさを増してきた。
和紙が千切れたような縁の穴は私の目の前まで近づいてきていて、この空間の中で手を伸ばすことが出来るならば、もうすぐ触ることが出来そうなところまで近づいていた。
この調子で穴を引き寄せれば、穴をくぐって青い世界へ入ることが出来るのではないかと想えた。

その時、昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。
私は5秒程は目を瞑ったまま青い穴を見ていた。
しかし、やむを得ず手とハンカチを目から離し、目を開けた。

その後の数日間の瞑想では、青い穴をもう一度見たいと試みた。しかしながら見ることはなかった。
その4年後に私は企業を自主退社したのだが、その後も青い穴を見たことはない。

このアートワークは、そのムー次元と繋がる穴を描いたものである。
瞑想中に見た次元を繋げる穴は、こちらからムー次元を覗く状態だった。
(こちら=地球=宇宙と呼ばれるセイジュの次元に一つだけ存在するムー次元の惑星)
しかしながらこのアートワークは、その状態をムー次元側から描いたものである。穴を覗いてムー次元の青い世界を見ている様子をムー次元側の視点で描いたものである。
穴は丸ではなく逆三角形+瞳形としているが、穴の縁には和紙を千切ったような細かい繊維を全周に描いている。
ムー次元側から描いているので、穴の中がムーブルーなのではなく、穴の周りである背景がムーブルーなのである。


《同時期の瞑想中に見た他の光景達(Other sights seen during the same period of meditation)》

その当時に勤めていた企業の昼休憩での瞑想中、他にも色々なものを見た(いや、それらは見せられたのだろう)。

ある時は、突然、この世界では見たこともないとても画数の多い漢字が10数文字ほど書かれたベージュ色の石板を目の前に見せられた。それはとても鮮明で高解像度なものだった。そう、それは現物というよりはどことなくデジタル映像の雰囲気だった。その漢字はこの世界で知られている画数の多い漢字のように同じ漢字を複数合わせたものではなく、本当に見たこともない漢字であり美しいとさえ想えるものだった。
またある時は、色彩豊かな象形文字が10数文字書かれた石板を見せられたこともあった。それはこの世界では知られていない象形文字だった。

別の時には、女性が何処かの歩道を歩いている映像を見せられた。髪が長く知らない女性だった。その映像は石板とは違って少し解像度が粗いものだった。歩道を歩く女性を3、4m離れたところから、女性の右上から俯瞰している映像だった。その映像は10秒以上続いた。
そして面白いことにその女性の名前が映像を見ている間、私の心に浮かぶのである。
また驚くことに、後日、その女性に出会ったのである。
それは名古屋の或る百貨店の一角で行われていた或る画家の帰国パーティーとおぼしきものを関係のない私が興味半分で近くで見ていて、どうぞ参加してくださいとシャンパンのグラスを渡されパーティーに加わった時のこと。
皆が立って画家のスピーチを聴いている中で、一つ置かれたソファーに一人だけ座っている女性がいた。その女性がその映像の女性だったのである。私はたまたま女性の近くに立っていた。
互いに初対面であったが、女性の方からグラスを持って立っている私に話しかけてきた。そして話を交わし、私は自分の名を名乗り、女性も彼女の名を名乗った。
その名を聞いて、瞑想中に見た映像の女性だと確信した。
女性はT大学の助教授であり、このパーティーだけの為に東京から名古屋に駆けつけたとのことだった。
そして私は自分も絵を描いていることを女性に告げ、スマートフォンで私の絵を見せた。


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